私の総合知-芝尾
何故、総合知 が必要と考えるか
先ず、私が現在の学問や技術、マネージメント、政治では解決できない問題があり、何を総合知 が必要と考えているか感じた最初の素朴な疑問を最初にお話ししたいと思います。例えば、
・もの作りは 成功し、生産性は過去に較べると数十倍~数百倍に達するだろう。にも拘らず、人々は相も変わらず長時間な労働を強いられ、生活はよくならない。世の中に物やサービスは溢れているのに 何故、自殺や貧困があるのか?
・為替レート の違いだけに何故、産業が支配されるのか。よく話すのですが、円安の時代は1人 の米国人の技術者の代りに36人の日本人の学卒が雇えた時代 は日本は高度成長し、世界の工場であった。現在の韓国、中国がその状態に違いない。おそらく、円高の前にドル高、ポンド高、フラン 高、ペソ高、・・・が有ったに違いない。為替レートの違いだけで先進国とも言われる国々が困窮に陥るのは何故か?等々。
本質的な問 題に対して考える場として総合知学会に出会ったと言う気持ちです。しかし、皆さん、それぞれの動機があり、それぞれの総合知があるの でしょう。
総合知には、基礎となる世界認識とどう行動すべきかを決めるための知の方法論、アプローチの2つが有ると思います。その後者が、生命原理、哲学や宗教から始まり、全ての人間の活動が生命の存在を持続させるように働くと言う総合知学会の皆さんで発見した原理ではないかと思います。
1. 生命持続の原 理-基礎となる世界認識
①シェー ンハイマーの発見した代謝やベルトランフィの一般システム理論、ホメオスタシス。つまり、生命体はエネルギーや物質を入力され、流れて行くプロセスが生命体であり、入力が無い限り生存し得ないことです。恒常性についてはサイバネスティクス、制御のことだと考えています。
②I.ブリゴジンの散逸構造の自己組織化
本多久夫は「シート(膜)からの 身体作り」で「散逸構造とは現象がエネルギーが均一になる方向に進むと言う熱力学の枠組みの中で、エネルギーの散逸のため に規則的なパターンを形成した方が効率的である場合があり、これを自己組織化と言う。自己組織化とは均一なところでも初め揺らぎが きっかけとなって差異が生じ、その状態に正のフィードバックが掛り益々増大するが、2つ の状態に互いに相互作用があって淘汰され、共存可能なところに自然に落ち着いたものである。」と言っています。シュレー ディンガーは生命はエントロピーを減少させ新たに秩序を生み出し、その秩序を維持する能力を持っていることに注目しています。生 命を持つ生物の生物が自分と同じような生物を造りだす生殖、一つの細胞が分化して四肢や内臓など諸器官を造りだす成長、そして日々、 エネルギーや食物を摂取しながら、分子レベルでは時々刻々、細胞が創られては分解され入れ替わる代謝機能、などの生命の諸 相の全てが、遺伝子をルール・ブックとする蛋白質の制御を利用した自己組織化によることの発見はジョージ・パラーディ等の 分子生物学者の活躍を待たねばなりませんでした。物理的にも自己組織化で一番楽に作れる膜を造ることが生命現象の最初のステップなの です。
③マトウラー ナのオートポイエーシス:洞察が面白い。オートポイエーシスの定義の一部はシステムの定義そのものであるし、複雑適応系の定義でもな いかと思います。又、自己準拠とか自己参照、等と色々言われていますが、全ての生命の諸相を最初にモデルにした。生命理論 を社会学に応用しようとし、社会の構成素がコミュニケーションであるとした。これはカントの主観を文書化し、コミュニケー ションすることでから普遍性を求めようとした(アーレントの 解釈)ことと関連して非常に重要な問題提起と考えています。 但し、鳩の神経の研究から着想を得た理論なので、外部からの入出力は無いとした等、分かりにくいのは定評があります。
そして、都甲潔は「自己組織化とは 何か」で複雑(適応)系を「ある系が複数の要素からなり、その要素が自律的に自分のルールで振る 舞い、同時にこれらの要素の間に相互作用がある。これらの要素の集合としての系全体の振る舞いが決まり、これが要素間の ルールや相互作用に影響を与える。これは正しく生物自身であるし、社会そのものである。」と言っています。
シェーンハイマー等の発見した「生物はエネルギー、物質の流れであり、生存を持続するにはそ れらの外部からの入力が不可欠」と言う現実は、社会にも通用することであり政治や倫理を考える際の不可欠な視点でありま す。オートポイエーシスの「社会はコミュニケーションである」など非常に重要な原理の発見があり、これらの原理を利用した 我々の判断はより有効なものになっていきます。
そして、生命体や社会の ような超巨大なシステムを自由裁量で構築することは不可能であります。要素自身の持っている規則性、挙動のルールを利用して他と協調 することで自律的に秩序が出来る仕組みを考え、自己組織化による構築を行わない限り不可能ではないかと思われる。アダム・ スミスの先見性は(多分、カントも)そこにあるかと思います。
2. 私の総合知-方法論
総合知には、そのアプローチの基礎となる世界認識、どう行動すべきかを決めるための知の方法論の2つが有ると思います。前者には、シェーンハイマー等の「生物はエネルギー、物質の流れである」や、I.ブリゴジンの散逸構造による自己組織化、オートポイエーシスの「社会はコミュニケーションである」など非常に重要な原理の発見があり、これらの原理を利用した我々の判断はより有効なものになっていきます。
総合知のアプローチの方法として私が重要視したり、研究しているのは以下のようなものです。
①バックキャスティング
上草先生から紹介頂きましたが、日本語で言えば「温故知新」と「深謀熟慮」と言ったところです。元々は、将来から振り返り、破局に陥らないためには現在、何をなしておくべきかを考える手法である。更に上草先生が現状の認識と過去の歴史から学ぶことが拡張され殆どすべての問題解決に適用されるようになりました。
例えば、尖閣列島の衝突事件での温首相の反応は、かっての日本の東条首相の反応と同じようなものです。東条首相も侵略した中国での利権を国民の反発を恐れて放棄出来ず米国との戦争に踏み切りました。人間同士がエネルギーと物質を求めて戦い合ったのが人類の歴史だし、かっての日本のように少数の指導者が裁量で支配する国家は好戦的になり易いのです。両国の将来の長期的な平和を見越して打つ手は、相手の意向を無視して粛々と国内法で処理するとか、一見もの分かりよく相手の不正を見逃すのではないと思います。
②アンティノミーと普遍性の追求
アンチノミーは日本語で言えば「下手の考え休むに似たり」を見極めることでしょうか。カントは、客観性を認める合理論とそれに反対する懐疑論の対立を解消するために純粋理性批判を表しました。そこで世の中には証明することも、否定することも出来る正反対の命題があることを示しました。それがアンティノミーで、そのような不毛のディスカッションが現れると棚上げし、それに代る普遍性を重視したのです。物を視たときに先ず我々は感性で直感的に受け取ります。しかし、それが妥当かどうかは分かりません。それで、主観の中にある普遍性を言葉や記号に表した悟性(verstand:理解)で見つけようとする。カントに対する石原輝吉やアーレントの解釈では、言葉で表現し他人とコミュニケートすることで、互いに自己の主観を表明し合い調整することで普遍性に到達する。これは、オートポイエーシスの社会はコミュニケーションが構成要素でそれには調整まで含むと重視したのと同じだともいます。小生に欠けている部分ではありますが、今後、社会に貢献するためには総合知学会で考えていることを普遍性があるものにするため、コミュニケーションは重大な課題だと考えます。
③トランスポジション/トランスクリティ-ク
これは未だ研究中なのですが、柄谷行人は著書「トランスクリティーク」で、場所、立場を替えて評価することの重要性を言っています。総合知学会のメンバーの皆さんは元々は工学屋さんが多いのですが、その立場を離れて、様々な分野に挑戦されるので、少数の割に面白い成果が出始めていると思います。
以上