戦後の日本人のエートス(4)

第二次大戦の終了後、そこで、国民は一億総懺悔して敗戦を終戦に言い換えてやり過ごしました。国民全体としては、例の被統治能力を利して、天皇の代わりに占領軍を仰ぎ見、荒廃した日本の経済復興に励みました。日本人に人気がある中国の周恩来首相をして、「僅か3カ月で民主主義に変ったと言う国民を信用できない」と言わしめた程です。

戦争責任者である東条英機等は戦犯として処刑されましたが、元々、東条英機氏は皇室に対する崇拝の念が大きかったから選ばれたのです。非常に有能な軍事官僚だったということですが、天皇が避けたがった米国との開戦に際して泣くなど本当の悪人とは思われない。しかし、中国からの撤兵を拒否して確たる勝算も無しに無謀な泥沼の第二次世界大戦に突き進むなど、宰相の器ではない。

外国の侵略に対する防衛の場合は、元の襲来に時宗や日蓮が、イギリスの侵攻にジャンヌ・ダルクが立ち上がったように、国民が一致団結して結束することは可能である。日露戦争までは日本もそうだった。

しかし、自分の実力と同等かそれ以上の敵に対して戦いを仕掛ける場合は、それなりの戦いのための合理性が必要であった。

エートスは環境への適応の過程で獲得した生き方で大成功することもあるが、環境が変わった場合には、それが過剰適応となって逆に破滅する、新しい環境の変化に追従出来ないのが決まりのようです。

特に、日本の場合は、崎門学の天皇を絶対視すると言うエートスは、その理想が実現しない間は有効であり得る。しかし、明治維新後、現実にそれが実現すると上官の命令は天皇の命令、お上の言うことには盲目的に従う、企業内では上司の指示は絶対となる。まだ、明治の時代は徳川幕府を何とかしなければと自分で考え命を懸けた人が残っていたのでよかった。しかし、理想が実現した後は、自分では考えないで盲目的に上に従うと言う人が多くなった、そしてそのような傾向に立ち向かえない状況が増えたのではないか。日本と言う狭い国土に由縁する、聖徳太子以来の絶対平和のエートスも又、物事の白黒を付けないで曖昧のまま残すのを得意とします。戦争を放棄し戦力を保持しない憲法の下で、自衛隊と言う世界でも有数の武器と武装集団を保持しています。憲法を替えないで条文解釈だけで米国の要望に応じた訳ですが、このような姑息な手段で物事を遣り過すばかりでは解決できない問題が有るわけです。

そして、今日の朝日(2011.1.29)にも金子勝が人生相談で「日本の社会ではみな衝突を避け、日常の平穏さを好む結果、いつも弱い者だけが苦しみや痛みを口に出せないまま死ぬことになります」と回答していました。この国では膨大な財政赤字がいつまで経っても先送りで解決しようとされないのです。

現在、選挙民が消費税増税等に冷淡なのは、高額の税負担があっても政府への満足度が高い北欧やオランダなどに較べ、政府に対する信頼が低いからです。

芝尾

shibao kouichi について

旧メール k.shibao37@gmail.com
カテゴリー: 議論 パーマリンク

コメントを残す