民主主義の社会では、納税者に対し市場経済に載らない公的分野で納税者に向けてサービスを提供するのが政府だと考えられている。しかし、官は上を向いて仕事をします。これは、徳川時代も明治政府も変わらない性格です。崎門学に由来するエートスはお上の在り方を現人神の代理にまで助長しただけかも知れません。
終戦時、占領軍も軍や戦争遂行に関与した人々同様に財閥や不在地主は放逐しましたが、官庁や官僚は占領政策の遂行に利用した。上意下達の円滑な日本の官の在り方は便利だったのです。このため、納税者である民は選挙を通じて対等に政府と亙り合うと言うよりも、国家の庇護の下に生活出来ることを約束される代わりに、国家の指導に従うとスタイルは、戦後混乱の窮乏期やその後の高度経済成長期でも、経済の国家単位の成長が競われる時代でも国家主導の経済活動は変わりませんでした。
官尊民卑の流れは変わらず、そのため、国家無誤謬の原則が残っています。欧米では、法律を創った場合には、人間が創ったものだから失敗することも、又、不充分なところもあると考える。そのため、不備なところを発見すれば、その旨、申し立てする宛先や改定や廃棄の手続きがが記されている。
国家や政府の無誤謬の原則は、時にはとんでもない事態をもたらす。東海村のJCO臨界事故では、臨界量を超えて放射物質を処理したため核分裂の連鎖反応が生じ、放射能が発生した。当時、警察官僚出身で政府の安全等の最高責任者である内閣安全保障室長の佐々淳行氏は現地に飛び、住民の被災を防ぐために放射源から半径500mの範囲を立ち入り禁止にしようとした。ところが、現地の警察か地方行政の担当者から、立ち入り禁止の立て札を立てることを拒絶された。政府の行っていることに危険性があることを認めることは許されないと云うことである。住民の安全を守るために国家や政府、行政が有ると思うのだが、住民の安全を犠牲にしてまでも国家や行政の無誤謬性と言う建前を護ろうとするのだろうか。
国家の無誤謬性の原点は徳川家康も言ったことだが、「寄らしむべし。知らしむべからず」である。これは朱子学の元になった儒学の創始者、孔子の言葉で「施政者は民を頼らせるようにしなさい。但し、真実は民衆には教えてはなりません」と言う、民主主義的な視点から見れば、民を馬鹿にした許せない言葉である。しかし、形式的には立派な民主主義で選挙で代表は選ばれるのだけれども、結果はどうもと言われる政治の惨状、衆愚政治、ポピュリズムといってもよい、を見ると民主主義の在り方について考えさせられる。中国など一部の国が、未だ、自国は民主主義は早すぎると言って独裁的にふるまうのは周辺国には非常に危険ではあるが、困ったことに理解できる部分もあるのである。
芝尾