わが友人青木一三氏によると、1871年の工部省の報告書に「事務官僚に比べて技術官僚の地位を低くすべきだ」とされているとのことである。また、民間経営者でも欧米では半数が理系にもかかわらず我国では三分の一であるという。
一方、高木純一によると、欧米においても技術は哲学を頂点とする学的体系の中で最下位にあったという。古代では奴隷の業に属することでもあったから、技術の価値は別として、社会的評価は低かった。歴史展開の最大の原因をつくったものは技術の発達だったはずでもあったにもかかわらず。
我国の身分制度を考えてみると、いうまでもなく江戸時代は「士農工商」であった。「工」が「商」より上だったということは、歴史の時間軸を無視すれば、欧米よりましだったということであろうか。今はどうなのであろうか。もしかすると逆転して、「商工農士」ということなのではなかろうか。いずれにしても、トップにはなれない運命にあるようである。
そして、もしかすると、官僚制度も「商工農士」なのでは?
しかし、学問の世界では文系、理系と分けてはいるが「工系」という言葉は使われていない。「理工系」という言葉はあるが。どうも「工」は「理」の下のようである。就職は「工」は「理」の上のようではあるが。
もちろん、知の世界では「理学(科学)」は、少なくとも分類学上は、「工学」をはるかに凌駕している。そして、自然科学の成果を社会科学に反映させようという観点から、1970年前後に自然科学と社会科学の統合が議論されている。その際、システム科学あるいは社会工学が統合の本命として扱われていたように思われる。しかし、その後コンピュータの導入が本格化するようになると、何故か時代の流れに乗れなかったようである。
そして、インターネット情報化社会が形成されると、再び科学の統合が議論されるようになった。たとえば、我国では2005年に特定非営利活動法人「横断型基幹科学技術研究団体連合」が発足している。しかし、少なくとも現時点では、科学の世界に閉じ込められているように思われる。何故なら、名称からして「科学技術」としており、そこには「エンジニアリング」の匂いがしないからである。
そもそも、我国では「エンジニアリング」を「工学」と訳しているが、これが間違いの元ではなかろうか。エンジニアリングには、「工学」には含まれていない「システム」あるいは「マネジメント」という知も含む「職能(Profession)」なのであるから。そして、科学技術を社会に実現するのには必須であり不可欠なものであるばかりでなく、自然科学であれ社会科学であれ、諸科学を必要に応じて適宜横断的に括る要になるはずである。
そして最後に、我国にそのような文系、理系を超えた風土を形成すべく、ここに「文理平等宣言」を公表する。
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