総合知の系譜

最近知ったことであるが、「横断型基幹科学技術研究団体連合」が2003年に任意団体として発足し、2005年に特定非営利活動法人となっている。

設立趣旨として「横幹連合は、文理にまたがる43の学会が、自然科学とならぶ技術の基礎である「基幹科学」の発展と振興をめざして大同団結したもので、限りなくタテに細分化されつつある科学技術の現実の姿に対して、「横」の軸の重要性を訴えそれを強化するためのさまざまな活動を行う。」と述べている。そして、2010年度からは「経営高度化のための知の統合」調査研究会が発足している。なお、この研究会を椿宏計は「設計科学の文法」を考える良い機会と捉えている。

一方、科学の統一については、1698年にベルタランフィが「一般システム理論」の中で述べており、さらに知の統合については、1970年にユネスコ編「社会諸科学および人間諸科学の研究の主要動向」が発刊されており、その序説でジャン・ビアジェが「人間諸科学・自然諸科学および諸科学の体系」について述べている。

我国でも、同じ頃、筑摩総合大学シリーズ(全100巻)として高木純一著「システム科学-学問総合化の思想と方法」あるいは林雄二郎・片方善治著「社会工学-社会システムの理論と応用」が発刊されている。そして後者には、工業社会から情報化社会への転換にあたって、社会的な現象をも広く技術の対象に包含していこうという考え方が生まれてきたと述べられている。

また、東京工業大学では、学長大山義年らが縦割り的でない新しい領域の工学を作るべきであると提議し、1966年に経済工学、情報工学、社会工学の三つの学科から構成される社会工学部を作るべきという決定がなされた。しかし残念ながら生まれたのは社会工学科だけであった。

社会工学の隣接分野ともいえる政策科学は、言葉としては1951年に開かれたスタンフォード大学でのシンポジュームが初めとされているが、宮川公男は「政策問題の解明と合理的解決のための政策プロセスおよび政策決定の方法とシステムを研究する科学」と提議している。そして、1971年にドロア著「政策科学のデザイン」が発刊されている。

また、システム論にもとづいて、1991年にウルリッヒとプロープスト著「全体的思考と行為の方法-新しいネットワーク社会の可能性を問う」が発刊されており、技術システムを内包すると同時に生態系に取巻かれる社会システムについて述べている。「全体的思考」に加えて「行為」も述べているのは、狭い意味での「科学」の境界を越えるものとして評価すべきものといえよう。

このような系譜を概観すると、「総合知」の分野で「全体的思考」を超えて「設計」とか「行為」を思考対象とする時代になってきたように思われる。1970年代の議論が途中で中断されてしまったような印象を受けるのは、恐らく狭い「科学の世界」に留まっていたからではなかろうか。目指すべき「総合知」は科学分野を横断するのではなく、芸術-技術-工術(エンジニアリング)-学術を縦断するものでなければならないのではなかろうか。

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江戸時代の日本人

何故、江戸時代の日本人幕末のころ日本を訪れた西洋人の多くが、当時の日本人と江戸を賛美しています。子供は丸々と太って健康的で、人々は好奇心に富み活気がある、街はごみが落ちてなく清潔である。ペリーですらも、日本を開国して西洋の文明に曝すのがよいのか考えたくらいですからね。

しかし、どう考えても江戸時代が理想社会だとは思いたくないですね。江戸の僅か13%程度の土地を下町として職人、商人など庶民が居住し、残りは全部、山の手として武士階級が占拠していたとんでもない差別的封建社会ですからね。

実は以前、そのギャップが不思議だったので調べてみたことがあります。どうやら、その鍵は、産業革命後のヨーロッパの状態にあったらしい。1710年のジェームス・ワットによる蒸気機関の発明以降、新興工業都市に急激に人口が集中し、上下水道、住宅の建設が追い付かず、暖房のための石炭燃焼で大気は汚染、衛生問題が発生、低賃金や失業から貧困、犯罪も増えます。リバプールは1760年から100年の間に人口は15倍に増えますが、1842年の労働者の平均寿命は15才、知識層・ジェントリーの地主層でも35才だったそうです。子供も沢山働いていたそうです。ヨーロッパは劣悪な衛生環境であったのでしょう。但し、農村地帯では労働者も30才、地主層も50才ぐらいです。

ヨーロッパの都市事情に比べれば江戸はそんなに悪くはなかった。兎も角、物がないのでそれを大切にしたので、エコを考えるとカスケード・リサイクルやリユースの超理想的な生活をしています。庶民の生活は将に利休の心の生活です。(無理のないエネルギーを取得してその範囲で生活するのに賛成です。)

それで思うに科学や技術が人間の生活の豊かさに直接、結びつかない-結びつけるのは人間の心-は仕方がない。それにしても、思想や信条ですらも豊かさには関係ない?-徳川家康は論語を盾にとって、“百姓は依らしむべし、知らしむべからず”と言ったとか、それでも江戸人はヨーロッパと比較すれば幸福だったのか? 

芝尾

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中国と技術

温家宝首相の言い分が余りに戦前の東条英機首相の言い分に似ているのが気になります。英機氏は、国内事情である兵士の出身地、東北の惨状を思って中国権益を守る決意を固め、米国との対戦を選びました。温首相は、国内事情である経済格差による国民の不満を理由に、日本との対立を高めます。

中国は民主国家でなく、唯一残る影響力を持つ集産主義国家なのですが、国民はかっての日本と同様、低賃金と国家の主導で猛烈な経済成長を遂げつつあります。国民は自分の生活がよくなるので、それで幸福なのでしょうね。かっての我々もそうでしたものね。

そして、その豊富な購買力を武器に、集産国家で共産党と企業が癒着しているので国単位で何でもできます。それで、各国に朝貢を迫り、無理難題を押し付けています。日本には技術を貢物として出せとのことで、中国の巨大な市場にアクセスしたいなら、最新の技術を提供しなさいと言うことらしい。ダイキンは、設立する合弁会社に最新のインバーター技術を持ちだすことにしました。今日の新聞ではオバマ大統領も胡錦濤主席から、最新技術製品を出すように要求されたそうですね。技術がその程度にしか扱われなくなったと言うことはかって技術屋として残念なことです。

芝尾

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都市化について

都市化について

円高や景気に関して昨近は企業人の短絡的なと見られる発言が目に付くようですね。しかし、本当に短絡的なのか、それとも報道のせいなのかよく分かりませんが。

以前、総合知学会でもコンパクト・シティなど色々、ディスカッションしたのを思い出します。神出さんが提案されたエネルギーや食糧の生産・消費を地域に統合して地産地消、自給自足を図る案もありました。田代さんが話されたコンパクト・シティで商店や住居を生活環境を歩いて行ける所に纏めるのもあったと思います。実際は、コンパクト・シティを作る計画が、大資本のショッピング・モールが進出し周辺の客が車で集まることになったとのことで大笑いでした。

最近は、医学部の学生の研修先を自分で選択するように制度を変えると、都会に集中し、地方の病院には行かなくなったので、地方の医師不足を招いてしまったことが報じられます。それだけでなく、医療責任を問う風潮が高まると人命に関わり負担の大きい内科や小児科を避けて、学生は楽な歯科や美容整形を選ぶようになった。

日本の人口の老齢化が進行するにつれ、老人が病院通いや食品の調達もままならない団地や田舎が増えています。それで、多分、都市化を提案されたのは、広く地域に分散した住居をコンパクトに集め、それは利便性を高め自動車など交通機関によるエネルギー消費や環境負荷を減らすこといもなる、余力のある裡に早くやろうと言うのでしょう。

しかし、日本の四季の変化や景色は山が多いために平地が少なく生活しにくいかもしれないが美しいものです。小生は博多に産まれたので、故郷に残った友人達には白砂青松の中に豊かな自然の中で生活し、それをこちらも楽しまずして、と思わないでもない。因みに、我が家は、女房は都会派、小生は自然派です。女房に合せた方が家庭は上手くいくのは真実です。

しかし、都市派か地方(自然?野生?も含む)派かはどちらの主張(命題)も理由(根拠)があるので一つに統一することは出来ない(アンチノミー)と思います。個人の好みに合わせて、しかも環境や生物多様性、エネルギーや食糧、その他の様々な制約の中で豊かさを享受できる生活が出来ればよいと考えます。(普遍性)

最終的には個人や企業だけでは実施できないので、政治やその政策設計が必要ななるのでしょうが、先ず、関連する要素が余りに多く実効のある計画を作るのは中々、困難です。又、今までの価値観では解が見つからないだろう。はっきり言って、歴史的に提言された経済政策は、偶々、植民地があって余剰所得があった、先住民を追い出して土地を無料で入手した、途上国で通貨が安く低賃金であった、等の理由で成功していた感がする。

多分、上草先生のおっしゃる日常性=生命の存続する場を大切にする、を先ず、実現することから始めないと。

芝尾

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進化について

進化は果して弱肉強食の世界で自然淘汰で、適応能力のあるものが優秀で生き残るのか。それとも、違った面があるのか、それを考えてみたい。

一月ほど前に、NHKは番組で恐竜が何故、滅亡したか、そして、何故、我々人類の祖先である哺乳動物が栄えたかを放映した。恐竜達は肺に気嚢を持ち、効率のよい向流型の炭酸ガスと酸素の交換するよう進化していため、高い運動性、多分、持続性が可能で他の動物を圧倒し栄えていた。ジェラシックパークなど映画の中の恐竜は強大な顎を持ち、大きく狡猾であるが、日光浴で体を温めた上でやっと活動する現代の多くの爬虫類のイメージがあるためか、素早く動く人間がそのため間一髪で逃れられると言う設定になっている。しかし、実際は狙った獲物を何時間も執拗に追い詰めることが出来るとんでもない怪物であった訳である。

そのため、巨大な鰐の口を持つ2脚の爬虫類は陸上から駆逐され、水辺でのみ生息できる鰐に進化することで生きながらえた。哺乳類は鼠のように小型化し夜間に活動するようになり、恐竜の捕食から逃れた。多分、現在の鼠と同様に多産することで、食われても食われても子孫を残すことで恐竜に対抗していたのだろう。しかし、6500万年前に、ユタカン半島に巨大な隕石が落ち、その結果生じた高熱や300mに達する津波、更に粉塵が空を覆ったことで気候の寒冷化によって、環境に適応し巨大化していた恐竜は絶滅したと言われる。鳥の祖先になった羽毛恐竜や、鰐、哺乳類は巨大恐竜から解放された地球で再び生存競争を行ったが、既に水に適応し進化していた鰐類は、分化した身体から再び陸上での生活できる肉体へ進化することは出来なかった。羽毛恐竜は鳥に空中と言う競争者の居ない環境に適応するよう進化した鳥類を除いて、強力な嘴、2本の脚が邪魔になり、地上の覇者に進化することは出来なかった。環境に特化せず旺盛な生殖力だけで生き残っていた哺乳類だけが、平原や樹上、水中など様々な環境に適応できるように進化することが出来た。

つまり、適応して進化しそのため形態や機能が特化し分化した生物は、その分化した形態、器官から変化した環境に適応するために進化せざるを得ず、逆に進化することが困難になると言うことです。と言うような訳で、優れたものが他の劣ったものを淘汰して残るとは考えにくいのです。歴史は二度と繰り返さないとか、一期一会とかで、偶々、残ったと考える方がよいのでは。

しかし、だからと言って我々が生き残るために努力するのを否定することは出来ない。生命の原理は不当な利益を享受するモラル・ハザードを否定します。

人間はサバンナで樹から降りてきたときに、知能が高いことや直立することで手を使い、道具を使うことを覚えたことが生物の覇者にした理由だと考えていました。が、そればかりでなく、コミュニケーション能力、つまり、音声や手ぶり、言葉や文字を使うことで集団としての能力をより高めたと考えています。そして他の動物と同様に利己心と共に、自己犠牲など利他的な傾向を持つことによりその集団の力を高めたのでしょう。

最近、生物の多様性と関連して、生物の共生関係を利用したエンドファイトが注目されています。今までは牧草や稲に寄生し有害と考えられていた微生物が逆に、他の害虫や病原菌を殺し有益で、又、窒素固定など肥料の代わりをするものが発見され、化学農薬や肥料の代わりに利用が図られています。人間も多分、本質的には互いに共生関係にあるのではないですか。

芝尾

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